キャンディーズの軌跡(前編) 活動わずか5年、伝説の解散コンサート、それぞれの道へ
伝説の「解散コンサート」はこうして生まれた
「普通の女の子に戻りたい!」と、事務所の了承もないままに人気絶頂期の21、22歳の若さで解散を宣言したキャンディーズ。アイドルとしては異例の後楽園球場での解散コンサートは伝説となった。そして3人はそれぞれの道を歩む……。
キャンディーズの解散について、「“引退”を打ち明けられたただ一人の人間」というマネジャーの大里洋吉氏(現Amuse最高顧問)は、その後、2010年に新聞のインタビューで経緯を説明している。「8時だョ!全員集合」のコントなどバラエティーで人気だったキャンディーズのマネジメントを引き継いだ大里氏は、ライブを本格化させたという。
「引き継いだ当時の3人は、まさに『テレビ』タレントでした……(そこで)一流のミュージシャンをバックに洋楽を取り込んだライブで、テレビとは逆の、リアルでエネルギッシュな魅力をファンに見てもらった」
バックにはMMPというトランペットを含むバンドを起用。お茶の間アイドルからライブアイドルへ幅を広げ、蔵前国技館での1万人コンサートなどロックミュージシャン顔負けの動員を記録した。
その集大成が解散コンサートとなる1978年4月4日、後楽園球場「ファイナルカーニバル」。今でこそ人気アイドルのドームやアリーナライブは珍しくないが、当時は異例で、観客動員は5万5000人を記録した。プロ野球の合間にステージを急いで設営し、リハーサルは3時間なのにライブは4時間。花道の移動もある大会場で、単独のアーティストがこれだけ長いライブを行うのは偉業といえるもの。この模様は夕方のニュースでワンシーンが生放送されたほどだ。
親衛隊として知られる「全国キャンディーズ連盟(全キャン連)」らファンの熱狂的な笛の音と歓声はライブ後も鳴りやまず。30年後の2008年4月4日には後楽園球場跡で全キャン連の同窓会が行われ、2000人が集まった。
■「普通の」家庭を築いたミキちゃん
解散後、伊藤蘭、田中好子は女優として花を開かせたが、その2人とは異なる道を歩んだのがミキちゃんこと藤村美樹だった。解散から5年後の83年、カネボウのCMソング「夢・恋・人。」で歌手復帰を果たしたものの、それからわずか数カ月後に結婚。相手は7歳上のイベント企画会社の社長で音楽プロデューサーの尾身善一氏。結婚と同時に家庭に入り、長女、次女、長男の3人の子どもを授かった。
91年に週刊誌(アサヒ芸能、8月29日号)に直撃された時は近況を「このとおり、ごく普通の生活ですよ」と語り、写真をお願いしたら、「キャ~、やめてね」とかわいらしく応え、車で走り去ったそうだ。
また、別の取材では、ランやスーの2人とは連絡を取り合っている、子どもたちにはキャンディーズのレコードは恥ずかしくて聞かせていないと語っていた。
美樹の長女は劇団青年座の女優、尾身美詞(38)。日刊ゲンダイの「おふくろメシ」(2018年9月12日号)に登場した際、料理上手のミキちゃんについて、こんなふうに語った。
「母は野菜を使った料理が大好きなんです。それに輪をかけて父が料理にこだわりがあり、小学生の時に週に1回、子どもたちだけで料理をする日を決めていました」
自宅に人を集めてパーティーをすることも多かったといい、母の料理で好きだという「豚の紅茶煮」を紹介してくれた。
また、同様に「涙と笑いの私の酒人生」にも登場している。母に似てアルコールが苦手という美詞さんがこう語った。
「去年(17年)、海外に住んでいる弟が帰国したとき、久しぶりに伊豆に家族旅行しました。父と弟、妹が夕食でお酒をいただいていたら、母がうらやましそうに『私も飲めたらなあ。これから練習しようかな』ってポツンと言うんです。これから夫婦2人の老後の楽しみのために晩酌の練習をしてるようです」(「日刊ゲンダイ」2018年7月18日号)
ミキちゃんは「普通の女の子に」戻って、幸せな家庭生活を送っている。