キャンディーズの軌跡(前編) 活動わずか5年、伝説の解散コンサート、それぞれの道へ
解散から2年後、女優で成功した伊藤蘭 なぜかソロ歌手復帰には41年も
伝説となった1978年4月の後楽園・解散コンサート。スーちゃん、ミキちゃんより1歳上のランちゃんでも、この時まだ23歳。テレビで放送された解散コンサートの番組は紅白歌合戦などを除いた単独の歌手(グループ)としては最高の視聴率32%を記録。これは今後も破られることはないはずだ。キャンディーズの解散が社会現象だった証しでもある。
メンバー3人のうち、多くの曲でセンターを務めた人気ぶりそのままに、解散後も華やかに活動し、現在に至るまで人気が揺るがないのは、ランちゃんこと伊藤蘭だけである。
解散後、2年間は休養している。アイドル時代にはできなかった旅行や運転免許取得など文字通り“普通の女の子”の体験を満喫し、その中で女優への意欲を高めていった。
80年に、今月12日に亡くなったばかりの大森一樹監督の出世作となった「ヒポクラテスたち」で女優として復帰し、この映画でヨコハマ映画祭で助演女優賞を獲得した。
同年には国民的シリーズ「男はつらいよ 寅次郎かもめ歌」で定時制高校に通うヒロインに抜擢された。ちなみに、この時の松竹の正月映画は2本立てで、もう1本はスーちゃんこと田中好子主演の「土佐の一本釣り」だった。
翌81年。当時は無名の演出家だった野田秀樹の舞台に出演し、周囲を驚かせた。
その後、ドラマは「オレゴンから愛」シリーズから2時間サスペンスまでを幅広くこなした。鮮烈に記憶に残る作品とはいえないかもしれないが、キャリアを順調に積むことができた。
しかし、待望の歌手復帰となると、解散から41年が過ぎた2019年まで待たねばならない。
伊藤は復帰が遅くなった理由を週刊誌で語っている。
「ソロのお話は、以前からちょこちょこ言われていたんです。でも、ちゃんと受け止められず、軽く受け流していました」(「女性自身」2019年6月11日号)
復帰の前年に意識が大きく変わったという。
「もう一度言われて、決めました。あと何十年も元気でやっていられるかわからない。元気があるし、エネルギーもある、いまのうちに尻込みせず勇気を出して挑んでみようかなという気持ちになりました」(同)
■やはり、ずっと3人で歌ってきたので…
歌手復帰については夫の水谷豊(89年に結婚)も背中を押してくれたようだ。
「自分でやると決めてから、『どう?』と、伝えたら『いいんじゃない?』と」(同)
曲選び、歌詞、アレンジなどに参加してできた64歳による初のソロデビューアルバムは話題にもなってヒットし、同年のレコード大賞企画賞を受賞。コンサートには往年のファンが大勢詰めかけた。
2年前にはコンサートをこう振り返った。
「拍手ひとつ取っても、より一層思いを込めて届けようという皆さんの気持ちが伝わってきて感激でした」(「週刊朝日」2021年8月6日号)
「キャンディーズの曲に関しては、やはりずっと3人で歌ってきましたし、ハーモニーが大事な曲も多いのでスー(田中好子)さんとミキ(藤村美樹)さんの存在は常に感じています。やはり3人は心強かったし安心でした」(同)
セカンドアルバムには布袋寅泰やトータス松本も曲を提供。ツアーも敢行し、77年夏に「普通の女の子に戻りたい」と宣言した思い出の日比谷野外音楽堂で、実に44年ぶりに熱唱した。
「夫には『蘭さんは歌をやってほんとによかったねぇ』と、しみじみ言われました(笑)。娘はコンサートを毎回楽しみにしてくれているようです。幼い頃から映像やCDでキャンディーズの存在を身近に感じていたからでしょうか」(同)
その愛娘の趣里は23年後半のNHK朝ドラ「ブギウギ」の主役が決定し、話題になっている。仕事も家庭も、順風満帆すぎるランちゃん。成功の秘訣は何か……。(後編につづく)