和田靜香さんの作品群は昭和・平成・令和の時代のスケッチとして読み継がれていく
■バイトをかけ持ちして生計を立ててきた著者
そんな和田さんが、世紀をまたぐ前後から音楽ジャーナリズムの世界で生きていく自信が揺らぎはじめ、40歳を越えるころからバイトをかけ持ちして生計を立ててきたことは、『時給はいつも──』を読んで初めて知った。生活維持のためのおにぎり屋の仕事(時給はまさに最低賃金だったとか)でさえ、コロナ禍でクビになったという。
音楽ジャーナリズムから離れ、楽曲プロデュースに軸足を移して久しいぼくにとっても、和田さんが綴る「わが貧困の記」は他人事ではなかった。『時給はいつも──』を読んだ感想をツイートしたのがきっかけで、SPA!で対談が実現したのは2021年秋。社会や政治へのまなざしに共感を覚えながらも一度も会ったことがない、遠い街の文通仲間と初めて対面するような心地よい緊張感と感慨があった。
その後も頻繁に会うわけではないが、LINEでいつもつながっている実感がある。気づけば共通の知人も増えた。そんな彼女が神奈川県の大磯町に通っていることは、昨年7月にLINEで知った。これから10日ほど取材で大磯に滞在すると記されていた。ぼくはいきなり大磯と聞かされたら真っ先に「ロングビーチ?」と反応してしまうんだけど、と告げたら、和田さんは春から大磯町議会の取材を進めていると答え、同町議会はパリテが実に20年も続いていることを教えてくれた。