「テラヤマキャバレー」は脚本、演出、役者…すべてが表層的で深みに欠ける
日生劇場は1964年に寺山修司の「はだかの王様」(演出=浅利慶太)を初演した劇場であり、没後41年目に寺山修司をモデルにした作品が上演されるのは慶賀の至りだ。
物語は1983年5月3日、寺山の死の前日。河北病院に入院中の寺山が見る幻想の音楽劇。
彼が主宰する劇団のメンバーが稽古場のキャバレーに集まってくる。その中には初めて会う役者もいて、寺山によって奇妙な芸名をつけられていく。
そこに死の使い(凪七瑠海)が現れる。彼女は朝日が昇るまでの時間の猶予と3本のマッチを渡す。マッチを擦ると過去や未来へトリップできるらしい。
行き詰まった寺山が1本目のマッチを擦ると近松門左衛門の人形浄瑠璃「曽根崎心中」の稽古場へと飛ぶ。
2本目は2024年のバレンタインデーに沸く新宿・歌舞伎町。寺山が少年少女たちに家出のすすめと、「書を捨てよ町へ出よう」と呼びかけた時代から60年。新宿はもはや「言葉」をなくした少女たちがたむろする喧騒と虚無が渦巻く街になっている。「私の墓は、私のことばであれば十分」と言った寺山の「ことば」はもはや有効性を失ったのか……。