「テラヤマキャバレー」は脚本、演出、役者…すべてが表層的で深みに欠ける
冒頭から、寺山の葬儀で流れた合唱曲「カム・ダウン・モーゼ」、「戦争は知らない」「時には母のない子のように」「あしたのジョーのテーマ」と寺山作詞のヒット曲が続く。登場人物は三島由紀夫、唐十郎、野田秀樹、母ハツなど。しかし、虚実ないまぜになったドキュメントタッチの舞台が得意な池田亮の脚本にしては寺山へのアプローチが表層をなぞるだけで通りいっぺん。寺山にまつわるイメージを並べ立てただけ。
演出のデヴィッド・ルヴォーは1978年に世界前衛演劇の到達点といわれる寺山修司の「奴婢訓」をロンドンで見て衝撃を受けた演出家のひとりだが、今回の演出は蜷川幸雄風の猥雑さが前面に押し出され、寺山美学からは遠い。
生演奏と成河、伊礼彼方、村川絵梨、平間壮一ら実力派の歌は聞かせるものの、寺山を演じる香取慎吾は熱演のあまりセリフをがなり立てるだけで一本調子。陰影に富む詩人の繊細な内面の表現が欠ける。
唯一、寺山の元妻で劇団を支えた同志、そして戸籍上の妹となった九條今日子とおぼしき女性との悲痛な別れの場面は万感胸に迫るものがあった。
2月29日まで。3月5~10日は大阪・梅田芸術劇場メインホール。(★★)
(山田勝仁/演劇ジャーナリスト)