尾上菊之助も松本幸四郎も…芸の継承は「父から子」という単線だけではない
3月の歌舞伎座はオーソドックスな演目が並ぶ。昼の部最初の『菅原伝授手習鑑』の『寺子屋』では、尾上菊之助が松王丸を初めてつとめている。
「松王丸」という役も、『寺子屋』という演目も、音羽屋にはあまり縁がなく、菊之助の父・7代目菊五郎は演じていない。一方、菊之助の妻の父である中村吉右衛門にとっては、松王丸は最大の当たり役だった。
では、菊之助は吉右衛門の芸を継いだのかというと、そうでもない。舞台には新しい松王丸がいた。それは英雄豪傑でもなければ忠義の人でもない、組織のしがらみの中で生きなければならない「普通の人」としての松王丸であり、サラリーマンの悲哀が浮き立つ。「すまじきものは宮仕え」なのは武部源蔵ではなく、松王丸のほうだったのだ。
そんな松王丸を、菊之助は理知的かつ冷静沈着に演じる。「不憫だ」と嘆くシーンでも、感情を爆発はさせない。そこが物足りないと感じるかもしれないが、名優による名演技をご覧に入れますという吉右衛門の松王丸は、もういないのだ。
この時代錯誤の物語を今後も上演し続けるのなら、等身大の人間としての松王丸というアプローチが適しているのかもしれない。