【追悼】曙太郎(上)希代の名横綱なのに敵は土俵の外にいた…師匠・東関親方との対立も深刻
加えて、師匠である元高見山の東関親方との対立も深刻だった。差別に耐え、実力で番付を駆け上り、率先して日本人社会に溶け込み、笹川良一をはじめとする斯界の実力者の支援まで得ながら社会的地位を築いた親方にとって、愛弟子の姿勢はどこか甘く映っていたのだろう。そのことを責めるつもりは毛頭ないが本来は弟子を守るべき師匠の所作にしては、ハワイ出身の青年横綱に厳しすぎたかもしれない。
そんな、典型的な日本閉鎖社会の象徴とも言える角界において、頼みとなるのは自らの実力以外なかった。幕内優勝回数11回はその勲章であり、生涯のライバルである貴乃花が、双方認め合う戦友として意識付けられたのは、さほど不自然なことではなかった。五輪開会式の代打出馬は必然だった。
00年九州場所で最後の幕内優勝をはたした曙だが、01年初場所は全休。その直後、両膝の回復が見込めないこ
とを理由に現役引退を表明する。引退後は曙親方として、東関部屋で後進の指導にあたっていた。誰もがあの圧倒的存在を忘れかかっていた。
しかし、現役引退から2年後、驚天動地の事件が起こる。
相撲協会に退職届を出して、K-1に参戦したのである。 =つづく