「もはや戦後ではない」は、誇らしげな復活アピールではなかった
ところが経済白書の意図は異なるものだった。「もはや戦後ではない」の文章の前は、「消費や投資の潜在需要はまだ高いかもしれないが、戦後の一時期に比べれば、その欲望の熾烈さは明らかに減少した」と記されている。
つまり焼け野原になった戦後日本で人々は、食糧や衣服、住居など、必要不可欠のものを欲していたので、大きな需要はあった。ところが一通り行き渡り、貧しさから抜け出そうとしたいま、人々は以前よりも激しい欲望がなくなったために、経済成長が危ぶまれる、といった意味であった。
「もはや戦後ではない」は、誇らしげな復活アピールではなく、大丈夫か、日本、という杞憂なのである。
まさに逆の意味!
使うときの場面がまったく異なるのだ。
しかし、すでに独り歩きしてしまった。実は経済白書に登場した「もはや戦後ではない」は、ネタ元がある。
1956年「文藝春秋」2月号に掲載された「もはや戦後ではない」という英文学者・中野好夫の論文である。
戦前日本の軍国主義的な立ち居振る舞いを批判し、戦後日本の新しい理想をもとう、というもので、経済白書版のフレーズとは異なるものだった。
ズレが生じるのは引用の宿命か。