『陽が落ちる』切腹を命じられた武士の最期に封建社会の不条理を味わう
上質な武士道残酷ものが醸す重苦しさ
いわゆる「武士道残酷もの」というジャンルがある。「切腹」(1962年)、「武士道残酷物語」(63年)、「仇討」(64年)などが有名だ。そこには武家社会の掟に振り回され、あるいは自らその不条理の中に忠義を見出だして破滅に向かう人間像が描かれていた。その非情な物語は上司や経営者に逆らえず、会社への忠誠を強要されるサラリーマンの悲劇の投影とも解釈された。
こうした滅私奉公精神の背景には、「武士道とは死ぬことと見つけたり」(山本常朝「葉隠」)に代表される不思議な美意識も影響している。忠義のために喜んで命を捨てることが美徳。この考えが高じて江戸時代の武士にはいかに美しく死ぬかを競うというマゾヒズムの一面があった。
だが本作の久蔵はそうしたマゾヒズムに属さず、命を惜しむ。この世への名残惜しさを口にし、妻の良乃も夫への未練を連面と歌い上げる。観客が目撃するのは封建制社会の犠牲者の悲嘆なのだ。
本作は日本映画界において久しぶりの武士道残酷もの、それも上質の作品といえる。最後の最後まで悲しみに満ち、そして重苦しい。コメディーではなく、骨太の社会派時代劇を切望する人の心の琴線を刺激するだろう。
(配給:MomentumLabo.)
(文=森田健司)