沢田研二 田中裕子 8年越しの交際実らせて結婚
離婚が成立したことで世間の興味は田中との再婚に向いた。3月には横浜の高級住宅街のマンションでの同居が報じられて、近所の住人に仲良く散歩する姿を目撃されている。同年5月には京都に小旅行へ出かけ、友人たちに“夫婦お披露目会”も行った。
だが、事態は進展しなかった。離婚直後には沢田の育ての親ともいえる渡辺プロダクションの渡辺晋社長が亡くなり、9月には一連のトラブルの影響からか、ファンクラブも解散。ヒット曲にも恵まれなかった。
そんな状況も理由なのか、田中が結婚に積極的な姿勢を見せていないという声もあった。音楽仲間への取材では、「ジュリーは彼女の恋の止まり木にしかすぎないんだよ。彼女は別の止まり木に移るよ」というコメントも出たりした。
沢田に仕事のスランプから抜け出すためには家庭に安住してはいけないという思いがあり、「結婚しない」と宣言したという証言も。そのため、入籍の延期どころか、不仲説や破局説が流れることさえあった。マスコミもことの真相をつかみかねる中、動脈瘤(りゅう)で療養生活を送っていた田中の父親が亡くなった。葬儀の当日、沢田はライブの合間に駆けつけて参列したが、一般弔問客ではなく親族席。出棺の際も田中の後ろに控え、沢田はすっかり身内として認められていた。