正室2人側室16人以上 徳川家康はなぜ未亡人ばかり相手にしたのか
ですから、私たちは男性も女性も「性」についてもっと知らなければいけません。それは男と女の違いはもちろん、性欲とは何か、それをコントロールするにはどうしたらよいのか? などを含めて正しい性教育を学ばなければ人生で勝ち残ることはできません。私たちは100年生きる時代を生きています。勢いだけで駆け抜けて、あとは関係ない、というわけにはいかないのです。
そこで本連載では、性感染症の防止はもちろん、避妊や妊娠、女性の生理など、日本人が恥ずかしくてこれまで話をしてこなかった問題について、歴史上の人物などを交えながらお話を進めていこうと思います。なお、私の専門外のことについては専門の先生方にお話をうかがい、皆さんにお伝えしていくつもりです。
■家康は加藤清正の死にショックを受けた?
最初に取り上げるのは戦国時代の覇者、徳川家康の“下半身防護術”です。ご存じの通り、三河の国・岡崎城主の長男として生まれて6歳~18歳まで織田家、今川家の人質として育った徳川家康は、関ヶ原の戦いで勝利して天下取りに成功。江戸幕府の開祖となりました。その家康は生涯2人の正室を持ち、16人以上の側室を抱えたそうですが、その多くは未亡人でした。理由は、加藤清正や浅野幸長ら同じ時代に生きた有力な戦国武将の多くが「梅毒」で亡くなったからといわれています。