正室2人側室16人以上 徳川家康はなぜ未亡人ばかり相手にしたのか
映画や小説では加藤清正は徳川方の忍びによって毒殺されたと言われていますが、その時代の真言宗の高僧の日記では清正の最後は「身もこかれくろくなられける」と書かれています。今でいう劇症肝炎などによる急性黄疸ではないでしょうか。これは梅毒の特徴のひとつです。また、「当代記」には浅野幸長が梅毒で亡くなったとの記述があり、清正も「ひとへに好色の故、虚の病」と書かれています。
むろん、当時は梅毒についてはほとんどわかっていません。ただ、家康は加藤や浅野が遊女と交わっていたことを知っていたため、遊女と遊ぶのは危険だと考えていたようです。あえて未亡人を選んだのは、子供を生んだ経験のある女性となら、子孫を残せるとの思いがあったからでしょう。
人生の勝者は、自身の身を護り、子供を成し、家族を作り護っていくためにただ欲望のままに行動するのでなく、性病についても深い関心を持ち、防御策を講じることが大切なのです。