母体はイエズス会 神奈川「栄光学園」少数精鋭教育の強み
そのままいれば、イエズス会の総長や教皇など、さらに上の役職に就くのではという声もあった。それでもこちらに帰ってきたのは、栄光学園から始まった日本での生活に愛着があったからだろう。ピタウ氏はそのまま日本に残り、6年前、86歳で亡くなった。
「ピタウ先生が生徒にいつも言うのは『困っている人を助けなさい』だったそうです」(OB)
■臨時講師として教鞭をとった小柴昌俊氏がテストで出した問題
短期間だが、ノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊氏も、東大大学院時代に臨時講師として栄光学園で教鞭をとっている。この世界に摩擦がなければどうなるかという問題を出題。正解は白紙で答案を出すことだった。摩擦がなければ、鉛筆がすべって答案用紙に何も書き込むことができないからだ。
ユニークなのは教員ばかりでない。卒業生からも、注目の人材を数多く輩出している。新国立競技場のデザインを担当した建築家の隈研吾氏も栄光学園出身だ。189㌢の長身を生かし、在学中はバスケット部に所属し、センターを務めた。