著者のコラム一覧
田中幾太郎ジャーナリスト

1958年、東京都生まれ。「週刊現代」記者を経てフリー。医療問題企業経営などにつ いて月刊誌や日刊ゲンダイに執筆。著書に「慶應幼稚舎の秘密」(ベスト新書)、 「慶應三田会の人脈と実力」(宝島新書)「三菱財閥 最強の秘密」(同)など。 日刊ゲンダイDIGITALで連載「名門校のトリビア」を書籍化した「名門校の真実」が好評発売中。

“御三家”から脱落寸前…少数精鋭の武蔵高校に起きた異変

公開日: 更新日:

 2015年27人、16年26人、17年32人、18年27人、19年22人──。何の数字か、分かるだろうか。東京の私立中高一貫男子校「御三家」の一角、武蔵高校(練馬区)の直近5年間の東大合格者数である。

「いまだに御三家と呼ばれるのはおこがましい」と自嘲気味に語るのは武蔵中に1980年代に入学したOB。筑波大附属中にも合格したが、将来のことを考えて武蔵を選択したという。そのころは学年の半数が東大に進むことも珍しくなく、東大合格者数トップ10の常連だった。

 他の御三家を見ると、開成は東大合格者数38年連続トップ、麻布は東大入試のなかった69年を除き65年連続トップ10入りと、とてつもない記録を更新中。この2校と比べると、数字的には見劣りがするが、それには理由がある。1学年定員が開成は400人、麻布は300人なのに対し、武蔵は160人。東大合格者数でトップ10入りすること自体、分母が少ないぶん、相当ハードルが高いのだ。まさに少数精鋭の名門校だった。

 しかし、1999年の7位(64人)を最後にトップ10から外れ、以降一度もランクインしていない。低迷が続く理由を、学校法人関係者は次のように話す。

■1999年を最後にトップ10から陥落

「歴代校長は生徒の自主性を重んじる方針を貫いてきた。それ自体は武蔵の建学以来の“自調自考”という自ら調べ自ら考える人間を育てる理念と合致する。しかし、あまりにも唯我独尊になり、武蔵という学校の中だけで、すべてが完結するものと勘違いし、時代の変化を見誤ってしまったのです」

 それはどういう意味なのか。同関係者はこう続ける。

「優秀な生徒を集めるという意味で、近年は学習塾とのつきあいが非常に重要になっています。ところが、ここ20数年、校長たちは学習塾の人間なんかと会う必要はないと、そうした交流を一切拒否してきた。その結果、生徒の質が落ちてしまったのです」

 かつて武蔵は、御三家の中でも飛び抜けた名門中の名門だった。7年制の旧制武蔵高時代は1学年80人中、約9割が東大、残りの1割もほぼ全員が京都大や東北大などの帝国大に進学していた。だが今は、名門校という座にあぐらをかいて待っているだけでは、優秀な生徒が集まる時代ではなくなっているのだ。大手学習塾の幹部は「不遜な言い方になるが、我々を無視して名門校の地位は保てない」と話す。

「学習塾が優秀な生徒に対し、『君はこの学校が向いている』と誘導するケースはかなり多いのです。同レベルの学校の中から、どこを選ぶかは結局、ふだんからつきあいのあるところということになる。相手の学校が積極的に自校の情報を提供してくれていれば、生徒にも安心して勧められるというわけです」(学習塾幹部)

 学校が無垢な生徒をじっくり育て上げていくのが理想だが、現実にそうなるケースはまれ。どんな生徒が入学するかで、学校の進学実績も決まってくる。結局、「学習塾が名門校のランクを左右している部分は大きい」というのである。

■学習塾との交流を絶った結果…

「開成や麻布はそうしたことがよくわかっていて、学習塾とのつきあいを嫌がらないが、武蔵はプライドが高いのか、我々を避けてきた。明治維新後の士族の商法と同じで、従来の考え方から抜け出せず、時代に取り残されてしまっている感は否めない」(同)

 こんな状況にありながらも御三家にとどまっているというのはある意味、驚きである。「過去の遺産がまだ残っているということでしょう」と話すのは同窓会幹部のひとりだ。

「自慢できるのは、卒業生の顔ぶれのすごさ。政財界に加え、学術分野でも数多くの重鎮たちを送り出してきた」

 政界では、宮澤喜一元首相、永井道雄元文部相、唐沢俊二郎元郵政相、松本剛明元外務相、柴山昌彦前文科相……。財界では、生方泰二元石川島播磨重工業会長、横田二郎元東京急行電鉄社長、西室泰三元東芝会長、佐藤正敏元損害保険ジャパン会長……。現在、東武鉄道で社長を務める根津嘉澄は、武蔵を創設した根津嘉一郎の孫。70年に武蔵高を卒業し、東大法学部を経て東武鉄道に入社した。

 学術分野を見渡すと、現在東大総長を務める五神真や早大総長の田中愛治。さらにはJAXA(宇宙航空研究開発機構)の宇宙科学研究所で所長を務める國中均も武蔵出身。はやぶさ2で小惑星リュウグウを目指すプロジェクトの中心的役割を果たしてきた。14年12月に打ち上げられたはやぶさ2は19年2月に1回目の着陸に成功。現在はリュウグウを飛び立ち、今年末、地球に帰還する予定だ。

■OBの10人に1人が医療関係者

「一言で学術といっても、卒業生が活躍しているジャンルは多岐にわたる。そんな中で特に目立つのが医学の分野です」(同窓会幹部)

 毎年発行される武蔵の同窓会名簿の後半は、医療関係者の名簿になっている。そこに掲載されている人数は約1200人。創立以来1世紀近くが経っている武蔵だが、少数精鋭の学校らしく、卒業生の総数はわずか1万3000人強。そこから物故者を除くと約1万1000人。つまり、OBの10人に1人以上は医療関係者なのだ。その中には医学界をリードする大物も多い。

 東大病院やがん研有明病院で病院長を歴任した武藤徹一郎東大名誉教授は消化器外科医として活躍。大腸がんの権威だ。元慶応大医学部長の池田康夫慶応大名誉教授は血液内科の権威。現在、母校武蔵の学校法人の副理事長を務める。

 心臓血管外科は医学の世界では新しい分野だが、そこで道を切り拓いてきたのが、現在同窓会長を務める落雅美日本医科大名誉教授。心臓を止めずに行うオフポンプバイパス術の第一人者としても知られる。

 最近注目を集めているのが医学部出身ながら生物学の分野に進んだ水島昇東大教授。オートファジー研究で成果を上げ、13年にはノーベル賞の有力候補に名が挙がったが、惜しくも逃した。まだ53歳と若いので、これからもチャンスはあると有望視されている。

■かつての栄光を取り戻せるか

 こうして名前を挙げだしたらきりがないが、華麗な武蔵人脈が際立てば立つほど、現状の問題点が浮かび上がってくる。「たくさんのOBたちから、かつての栄光を取り戻してほしいとの声が上がっているのも事実」と前出の学校法人関係者は明かす。

「ただ、改革が進みそうな気配は出ているんです。昨年4月に校長が代わり、積極的に学外へのアピールにも動いている。停滞を打ち破るキーパーソンになるのは間違いありません」

 新校長となったのは、公立進学校の雄・埼玉県立浦和高で校長を務めた杉山剛士。武蔵高を76年に卒業し、東大教育学部を経て埼玉県教育局に入職したプロフェッショナルの教育者だ。武蔵の伝統を守りつつ、一方で荒療治を進めるという難しい舵取りが求められるが、「名門校とは名ばかりの状態がこれ以上続くと、経営的にも苦しい」(学校法人関係者)というだけあって、杉山校長にかかる期待は非常に大きいようだ。=敬称略

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