沖縄戦の晩発性PTSD報告 精神科医が警鐘「戦争トラウマの世代間伝達はひ孫まで及んでいます」
戦争の影響は世代を超え、精神的問題を発生させ続けています
──トラウマの世代間伝達に警鐘を鳴らされています。
外来患者にうつ病で通う50代女性がいました。母親が戦場を逃げ回った戦争第1世代で、成人後にうつ病を患って何度も自殺未遂をした。第2世代の女性も手首自傷を繰り返し、第3世代にあたる娘が18歳で未婚の母になったと思ったら、赤ん坊を母親に預けていなくなった。第4世代の子どもをネグレクトしたんだね。戦争トラウマや貧困によって第1世代が第2世代を十分にかわいがることができず、愛着障害が生じ、それが4世代にわたって母子間の養育関係に影響を与えてしまった。戦争の影響は世代を超え、精神的問題を発生させ続けています。いったん脳に刻み込まれたトラウマ記憶というものは、風化しない。表面化しなくとも脳の中で生き続け、近親者の死などが引き金となり、PTSDとして発症する。5年後かもしれないし、10年後、20年後、あるいは60年後かもしれない。トラウマは寝たふりをしているんだ。
──治療はどう進めるのですか。
患者さんには必ず「つらいことがあったのに、よく生きてきた。あんたはエラい」と声をかけ、ハイタッチをします。トラウマというのは、圧倒的なストレスによって不可逆的な記憶が刻印されること。過去の出来事なのに、ベリーホットで生々しい。だから、いったん思い出すと体が締め付けられたり、震えたり、涙が出たりする。現在進行形の熱さ、勢いがあるため、記憶の時系列が混乱していると言える。これを過去形にするのがトラウマ治療なのね。現在進行形の熱さを持つ記憶を過去の冷えた記憶にする作業なのだけれど、今の自分を肯定できなければ難しい。苦痛に満ちていたら「つらかったけど、今があるからいいや」とはならないでしょう。よしとできない暮らしでは、トラウマを過去形にして克服することはできないんです。これまた縁があって、復興支援のために設立された福島県相馬市のクリニックに13年に赴任したのだけれど、津波や原発事故などに直面して非定型うつ病を発症した患者はザラにいる。トラウマ反応の一症状ですから。沖縄戦のトラウマ診断と治療について身につけたノウハウは相馬でも非常に役立っています。発災から数年経って遅発性PTSDが目立ちはじめましたが、おそらく晩発性PTSDも出てくるでしょう。被災者は沖縄戦体験者と同じ苦しみを味わっている。
(聞き手=坂本千晶/日刊ゲンダイ)
▽蟻塚亮二(ありつか・りょうじ) 1947年、福井県生まれ。弘前大医学部卒。青森県弘前市の藤代健生病院院長などを経て、2004年から那覇市の沖縄協同病院などに勤務。13年から福島県相馬市のメンタルクリニックなごみの院長を務める。仙台市在住。診察のため月1回ペースで沖縄市に通う。「悲しむことは生きること」「沖縄戦と心の傷」「うつ病を体験した精神科医の処方せん」など著書多数。