3.11東日本大震災から13年…被災地を蝕む「遅発性PTSD」と医療現場の今
元日の能登半島地震により4600人超がいまだ避難生活を強いられる中、先月は豊後水道地震が発生した。日本列島は絶え間なく揺れ続け、首都直下や南海トラフ地震への不安は募る一方だ。巨大地震への危機感を高めたのが東日本大震災だった。津波と未曽有の原発事故に襲われ、日常を奪われた被災者は遅発性PTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しみ、医療従事者は支援に奔走している。3.11から13年、いま何が起きているのか。現場を追うドキュメンタリー映画「生きて、生きて、生きろ。」(東京・ポレポレ東中野で25日公開)を撮った島田陽磨監督に聞いた。
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──津波で行方不明になった夫を思い続ける妻、避難中に息子を失って自殺未遂を繰り返す父親。アルコールと薬物に溺れたケースは直視がしんどいものがありました。取材のきっかけは?
原発事故が発生した2011年、米国から原発が持ち込まれた経緯を探るドキュメンタリーDVD「未来への決断~ノーモア原発~」を社で制作し、ディレクターとして関わりました。発災10年の節目に浮かんだのが、「福島はどうなっているのか」。親族が南相馬市に住んでいて、相馬野馬追をよく見に行きました。原発から半径20~30キロ圏内であることを除けば平凡な田舎町だったのに、チェルノブイリに匹敵するほど世界に知られ、複雑な思いがある。それで取材を申し込んだのが「メンタルクリニックなごみ」(相馬市)の蟻塚亮二院長と、連携して活動するNPO法人「相馬広域こころのケアセンターなごみ」でした。