「流されゆく日々」12000回記念 五木寛之さん×日刊ゲンダイ対談(前編)
書くことが浮かんでこないときは本当に地獄ですよ
五木 自分で言うのもちょっとおこがましいんですけども、15年くらい前かな、世界の新聞史上で最も長い連載というのでギネスで表彰されたことがありました。いまはギネスと自分とどっちが長く続くかという感じでやってますけどね。この連載があることで、今日も一日やることがある、3枚足らずのコラムを書かなきゃいけないというのは、僕にとってフィジカルな意味での人生の支えでもあるんです。コラムを読んでいる読者がどこかにいるっていうのは、自分の後半生を支えていく上でものすごく大きかったというふうに自分では思いますね。ですから、心からこの連載、舞台を提供してくれたゲンダイに僕は感謝しているんです。
寺田 いえいえ、それはこちらこそです。私は時々思うんですけど、この「流されゆく日々」っていうのは、個々のコラムの中身はもちろんですが続いていること自体が表現じゃないかと。悠々と流れていること自体、その行為が1つの文芸作品、進行形の文学のように感じているんです。
五木 もう永遠に未完の連載かもしれないと思いますけどね(笑)。この「流されゆく日々」というタイトルは、昔、石川達三さんという作家がいらした。僕らは日本ペンクラブで、石川さんとは対立した革新派のグループだったんですが、非常に尊敬していました。その石川さんが純文学雑誌「新潮」に「流れゆく日々」というエッセーをずっと連載なさってたんです。僕は愛読していたんですけども、でも俺だったら違うなっていうね、流れゆく日々っていうのは岸辺に立って流れて行くいろんなものを、泰然と自分の視座を崩さずに眺めている。それ自体、すごく大事なことなんだけど、俺だったら一緒に上流から下流の方へ向かってゴミと一緒に流れていくぞと。そっち側にいたいという気持ちがあってね。それで「流れゆく日々」への敬意をひっくるめて、「流されゆく日々」というふうにタイトルをつけたんです。
寺田 一緒に流されていく。この連載のキーワードですね。
五木 それは、間違ってなかったと思います。いまだに基本はみんなが流れていくんだったら俺も一緒に流れるぞ、というね。そういう視座だけは外したくないと思って今日まで来たんですけど。いずれにしても正直なことを言って、時にはうんざりするときもありますよ。
寺田 アハハハ。
五木 今日クタクタになって帰ってきて、これから書かなきゃいけないのか、しかもアタマに書くことが浮かんでこないっていうようなときというのは、本当にもうね(笑)。時計を見るとどんどん時間が過ぎていくじゃありませんか。今、編集部で待っている人たちがいるんだなと思うと、本当に地獄です。短い原稿であるだけに、一歩ずつしか歩いていけない。集中して何百枚も書くのとは別の苦しみがあるのです。
寺田 五木さんでも書くことが思い浮かばなくて、どうしようと思うときがあるんですか。
五木 ありますね。原稿用紙を前にして、万年筆を持って白紙の原稿用紙を前にして頭抱えて2時間も3時間も唸っているときってありますよ。 (つづく)
▽五木寛之(いつき・ひろゆき) 1932年、福岡県生まれ。57年に早稲田大学を中退後、作詞家やルポライターなどを経て、66年「さらばモスクワ愚連隊」で小説現代新人賞、67年「蒼ざめた馬を見よ」で直木賞、76年「青春の門」で吉川英治文学賞を受賞。「親鸞」で毎日出版文化賞特別賞。近著に「五木寛之傑作対談集」(平凡社)がある。
▽寺田俊治(てらだ・しゅんじ) 1959年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部仏文科卒。1983年、日刊現代入社、編集局配属。編集局ニュース編集部局次長を経て2016年、代表取締役社長。