「電流マッチ」ターザン後藤 下町スナック「FMW」で活動中
「最初はオレも兄貴の測量会社を手伝いながらリングに上がるなど、苦労が絶えなかったよ」
■「退団理由? 墓場まで持ってくよ」
それが90年8月、大仁田との「ノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ」で潮目が変わった。
「その年のプロレス大賞年間最高試合賞を受賞してね。プロレス一本で食っていけるようになった」
当然、ファンは後藤さんと大仁田の関係は盟友、同志とみていた。それだけに、95年、大仁田の引退試合の相手に決まっていた後藤さんが試合1週間前に突然、FMWからの退団を発表したのは驚天動地の出来事だった。
「退団の理由? それは言えない。墓場まで持っていくよ。ただ、現役のプロレスラーの中でFMW魂を継承してるのはオレしかいないと思ってる。でなきゃ、団体名を『スーパーFMW』としないって」
アメリカ遠征時代、現地の女子プロレス選手と結婚するも、離婚。墨田区八広の一戸建ての借家に一人暮らしだ。