広島ドラ1野間峻祥 「女手ひとつ」のサポートを母親が語る
野間が幼稚園の頃、しのぶさんは軟球で初めてキャッチボールをし、仰天したという。
「誰も教えていないのに、私が上から投げたボールを普通にパシッと捕った。プラスチックのバットを振らせても、右と左できれいなスイングをしていたんです」(しのぶさん)
小3の時、「東自由が丘ベアーズ」で野球を始めた。最初のポジションは外野だったが、打者が打った大きなフライが捕れない。泣きながらボールを高く上げて捕球練習を繰り返した。
小4で6年生チームの投手になった。でも性格は変わらない。「めちゃくちゃ負けず嫌いでした」としのぶさんが笑う。
「いい球を投げていて、6年生でも結構抑えていた。でも、打たれるとその都度、マウンド上で泣いてしまう。監督に『打たれるのが野球。泣くんなら外野守っとけ。おまえは投手に向いてないわ』ってよく怒られてました。外野に行くとボケーッとして放心状態。相手は6年生だし、しょうがないやろと思うけど、峻祥は何年生だろうが、ヒット1本打たれるのが悔しかったんです」