高橋由伸が原因で渡辺監督と口論になった
あの高橋由伸(以下、由伸)が40歳で巨人の監督に就任した。桐蔭学園時代によく打たれたことを思い出す。
90年に私は横浜商から横浜に復帰した。翌91年夏の神奈川大会決勝で、高木(3年=元西武)、副島(2年=元ヤクルト)、1年生の由伸がズラリと並ぶ強力打線の桐蔭学園と対戦。横浜は由伸に4安打を浴びて7―11で打ち負けた。同じ神奈川のライバル校だけに、「千葉から桐蔭にいいのが入った」と天才1年生の存在は耳に入っていた。確かに対戦前に分析したが穴が見当たらない。どこにどう投げても芯に当ててくるミート技術に舌を巻いたものだ。
秋と春の大会では桐蔭学園に勝ったものの、由伸が2年生になった翌92年夏の県大会決勝で再び激突。私は渡辺監督に「きょうは8点勝負」と由伸対策に背番号11の左腕を先発に進言した。が、渡辺は「エースでいく」と言って頑として譲らない。私が横浜に復帰して3年目。まだ、「全権」を任される前のことだった。結局、由伸に3安打を打たれ8-10。2年連続で甲子園切符を持っていかれ、試合後に渡辺と口論になったのは苦い思い出である。