つまり、この時点で五輪に出場する意思はなかったのである。菅野氏が当時のことをこう振り返る。
「確かにあの時、五輪に対する思いはまるで感じられませんでした。米ツアーで戦っている以上、ハナから無理だと思っていたのかもしれませんが、五輪に対する話には一切乗ってこなかったし、他人事みたいな話し方だった。国を代表してという意識はなく、違和感を覚えたものです」
鮮烈なプロデビュー、国内賞金王、米ツアー参戦など、一気にスターダムに上り詰めた石川だったが、あっという間にライバル松山との立場は逆転した。石川にとって大事なのは国を背負う名誉より、自分自身のプライドなのか……。