ブルガリアの怪腕・碧山は「ケガさえなければ大関」だった
碧山亘右・32歳・春日野部屋・前頭11枚目
過去、「ケガさえなければ……」と惜しまれた力士は数知れず。碧山もそのひとりになってしまうのか。
昨年7月場所は千秋楽まで横綱白鵬と優勝争いを繰り広げた。惜しくも賜杯は逃したものの、13勝2敗で敢闘賞を受賞。ところが、翌9月場所直前に古傷の左ヒザを骨挫傷、さらに11月場所で右足首を負傷してしまった。相次ぐケガのせいで、ここ1年ほどはまともに稽古ができず。幾多の力士を圧倒した立ち合いからの突き放しの威力も落ちた。
「ケガさえなければ三役の常連。いや、大関も夢ではなかった」とは、多くの親方、力士に共通する思いだという。
もともとはブルガリア国立体育大学でレスリングを学んでおり、大学の先輩である琴欧洲(現鳴戸親方)に勧誘され、田子ノ浦部屋に入門した。
「当初は勧誘を断り続けていたが、琴欧洲の熱意に根負けした形で角界入りした。そうした経緯もあって、入門当時はどこかつまらなそうにしていた。ただ、入った部屋が良かった。当時の田子ノ浦親方は2012年に急死した元前頭の久島海。礼儀や挨拶に厳しく、関取にも若い衆と一緒に雑用をやらせていた。それもこれも『出世してテングになったら、一番困るのは本人だから』という理由。弟子思いで、慣れない日本食に戸惑う碧山のため、自ら鍋や洋食などを作っていた」(相撲記者)