「ラモスさんのサポートもあって帰化が一気に進みました」
パラグアイで開催された「FIFAビーチサッカーワールドカップ」でMVPを獲得した茂怜羅オズは、2007年に初来日して「日本の文化に触れて日本人の優しさを好きになりました。死ぬまで日本に住みたいと思いました」。5年後に帰化が認められ、日本人になったオズが「大切な恩人がいます」と振り返る。
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6歳でビーチサッカーを始めたオズは、18歳のときに地元リオでプロのビーチサッカー選手になった。21歳で初来日。所属した沖縄のチームが東京に本拠を移すことになり、オズも東京に引っ越した。2009年に恩人と初対面する。
「ラモスが監督を務めているビーチサッカー日本代表の合宿が羽田で行われ、そこに出向いて挨拶させていただくチャンスを得ました。ラモスさんは『一目会っただけで分かる。アナタは信頼できる。帰化したい? ワタシがサポートする』と約束してくれました」
「その日は日本代表が泊まっているホテルに連れていかれ、ラモスさんに『明日も練習場に来なさい。便利だから今日はワタシの部屋に泊まりなさい』と言われました。翌日、練習場でラモスさんが視察に訪れていたサッカー協会の大仁さん(邦彌。第13代会長)に『彼を帰化させてよ!』と大声でお願いしたら、大仁さんが『いいよ!』と返答してくれたり……。それから帰化申請の話が一気に進んでいきました」