2032年東京開催案まで出てきたIOCの窮状と改革案の矛盾
来夏の延期五輪開催も極めて厳しくなっている情勢の中、政界や五輪関係者からは「21年が中止になった場合、すでに決定している24年のパリを東京に、28年のロスをパリに、32年をロスにそれぞれ順延する方法もある」との声が出始めている。
近著に「オリンピックの終わりの始まり」(コモンズ)があるスポーツジャーナリストの谷口源太郎氏が、
「決定済みの開催を東京のために動かすというのは極めて勝手な言い分で非現実的。今のIOCの状況を考えれば、それならまだ、開催都市が決定していない32年五輪を改めて東京で開催するという話の方があり得るかもしれません」
とこう続ける。
「というのも、IOCのバッハ会長は今後の五輪の存続に関して大きな危機感を抱いている。パリで決まった24年五輪の開催都市の選定では、立候補したローマ、ハンブルク、ブダペストが巨額の費用負担を懸念する市民の反発などを理由に次々と撤退。最終的にパリとロスの2都市しか手を挙げず、苦肉の策として24年パリ、28年ロスと96年ぶりに2大会同時決定となった。年々、五輪の招致熱が冷え込み、今後はますます立候補する都市が減るのは間違いない。13年にIOC会長に就任したバッハは直後から主要国、主要都市を訪ね歩き、五輪の存続危機という空気を肌で感じた。そこで、作成したのが五輪改革案の『アジェンダ2020』です。1つの都市以外での『分散開催』や開催都市の費用負担を減らすコンパクト五輪などを掲げたが、その試金石となる東京五輪でこの一連のゴタゴタです。費用削減と言いながら、東京五輪の開催経費も3兆円に膨れ上がった。東京五輪によって五輪の問題やIOCの矛盾があぶり出され、それを世界に知らしめた。五輪は本当に存続の危機だと思います」
まさに「五輪の終わりの始まり」である。