アテネ日本代表「五輪の素人」が犯した全勝狙いの落とし穴
五輪慣れしているアマチュアであれば監督やコーチ、そしてベテラン選手もそうした計算をシビアに行ったはず。
でも、当時の日本代表はオールプロ。唯一、西武の松坂大輔がシドニー五輪に出場していましたが、五輪特有の戦い方に不慣れだったことは大きなマイナスでした。
■疲労困憊の毎日
当時のプロ野球を代表する一流選手が集いながら、なぜ、オーストラリアに2回も敗れたのか? なぜ、銅メダルだったのか? その答えは僕ら代表選手が「五輪の素人だった」からなんです。
以前、この連載で書きましたが、プロ野球は長いシーズンを戦うことが前提になっています。そのため、1試合で100%の力を出すのはなかなか難しい。そんな試合が続けばメリハリもつけられず、肉体的にも精神的にも消耗してしまう。
予選リーグから全力で臨んだ僕らは、疲労困憊の毎日でした。初戦のイタリアには12―0でコールド勝ちといっても、試合が終わった瞬間は「まずはひとつ勝てたか」と安堵のため息。ノーマークだったイタリア戦ですらそうなのだから、警戒していたキューバ、カナダ、台湾戦はなおさらプレッシャーが大きかった。