1万m日本記録女王新谷と名伯楽・小出監督との“微妙な関係”
「信頼、信用できる人がいなかった」
右足裏の故障で14年1月に引退した新谷は、会社勤めを経て17年に競技復帰。以後、練習メニューは自分で考え、特定のコーチにはつかなかったが、昨年の世界陸上1万メートルで11位に終わると、日本選手権800メートル6度優勝の元日本記録保持者でロンドン五輪代表の横田コーチと二人三脚のトレーニングがスタート。練習のメニューづくりも新コーチに任せ、「社会人になってから、信頼、信用できる人がいなかった」という孤独な新谷に心強い味方ができた。
実は新谷は引退前、独特な話術と褒める教えで五輪マラソンのメダリストである有森裕子や高橋尚子を育てた小出義雄氏(故人)の指導を受け、13年世界陸上では5位入賞(当時ユニバーサルエンターテインメント)を果たしている。新谷の言葉が本当なら、小出監督は信頼できる指導者ではなかったのか。
元実業団の関係者が言う。
「新谷は岡山の名門・興譲館高で全国駅伝に出場し優勝。エースの走る1区で3年連続区間賞。05年はインターハイ3000メートル優勝や世界ユース銅、全国都道府県対抗女子駅伝では高校生で1区(区間賞)を走り、翌年の横浜国際女子駅伝でも日本のアンカーに選ばれた超エリートです。大学時代、半ば押しかけ同然で小出門下生となった有森や高橋とは歩んできた道が違う。14年の引退は小出さんとの喧嘩別れが原因ではないが、そもそも新谷は指導者の言うことを黙って聞くタイプではない。小出さんと強い信頼関係で結ばれていたとは言えませんね」
順大監督時代は小出氏の師匠であり、有森や高橋の指導の相談も受けていた前出の帖佐氏もこう語る。
「小出君は戦略も含めて女子マラソンの指導には長けているが、トラックに関しては緻密さに欠けた。目標に向かって何をするべきか、自分で考えられる新谷とは、その点が合わなかったのかもしれない」
新谷は「プロですから国際大会でわかりやすい結果(メダル獲得)を出すことが私の仕事」と言い切る。東京五輪では信頼できるコーチと「大仕事」に挑む。