同級生が語る新庄剛志 「貪欲さと前向きさ」は高校時代もメジャー時代も変わらない
新庄のバケモノじみた体力に驚嘆しつつも、相手は同級生。入学当初はライバル意識をもっていたが、3年時になると「新庄の足を引っ張ってはいけない」と思うようになっていたという。
「私も含め、皆が新庄を慕っていました。他の部員に自分のレベルを要求することなく、黙々と我が道を進んでいく感じだった。そのくせ気配りの達人で。『さっきのプレー良かったよ』とか、『こうしたらどう?』と声を掛けてくれた。なにより、優しかった。あの頃は上級生が下級生に体罰を振るうことが当たり前でした。もちろん新庄も先輩から受けることがありましたが、後輩には一切しなかった。自分がされて嫌なことは他人にはしない。これを地で行く男です」
1989年、迎えた最後の夏は福岡大会の決勝(対福岡大大濠)に進出。新庄は1本塁打を含むサイクルヒットを記録したが、4-6で惜敗。全国大会に出場することなく高校時代を終えたものの、同年秋に阪神からドラフト5位で指名された。
新庄は入団会見で自身のPRポイントについて「肩と足だったけど、(同期の)岡本(圭治)さんが足が速すぎる。もう肩だけしかない(苦笑い)」と言ったように、打撃には自信がなかった。