97年は最終戦でヤクルトのホージーを四球で歩かせただけで終わった
1997年のシーズンはヤクルトが2位以下に10ゲーム以上の大差をつけてリーグ優勝。巨人はヤクルトから20ゲーム差の4位に沈んだ。
最終戦は10月8日、神宮球場のヤクルト戦だった。私はその試合の八回裏、打席にホージーを迎えた場面でマウンドに登った。
ペナントの行方はとうに決まっていて、焦点はセ・リーグの本塁打王争い。38本塁打でリーグトップを走るヤクルト・ホージーを、巨人の松井秀喜が1本差の37本塁打で追っていた。松井にタイトルを取らせたい巨人とすれば、ホージーに本塁打を打たれるわけにはいかなかった。
ホージーはスイッチヒッター。本塁打の確率が高いのは左打席で、右打席は打撃が粗っぽい。だから右打席に立たせた方が無難ということで、左腕の私に白羽の矢が立った。
■「本塁打だけは打たれないように」
「とにかくホームランだけは打たれないような投球をしてくれ」と首脳陣に送り出されたものの、狭い神宮球場で、外国人選手に対して、ここに投げておけば大丈夫ということはほとんどあり得ない。仮にそんなコースがあるとしても、万が一、ボール1個か2個分、甘く入り、フェンスギリギリで入ったとしても本塁打は本塁打だ。打った方がうまかったでは済まないと分かっていたから、これはもう、歩かせるしかないと思った。