ヤクルト村上宗隆が全盛期の松井秀喜を凌駕する部分 ゴジラ以来20年ぶり「日本人50号」
マスクを外して挨拶する姿勢
今年の春、キャンプ取材に出かけた折、宮崎空港でバッタリ、村上と出くわした。
小走りで向かってくる大柄な若者が彼とは気付かず、けげんな顔をしていると、私の前で姿勢を正し、していたマスクをわざわざずらして顔を見せた上で、マスクをし直し、「村上です」と挨拶をしてくれた。純粋で真っすぐな男なのだと思った。そういうひたむきさが、プレーにも表れている。
私がベイスターズでコーチ、監督を務めた1997年から2000年、巨人の主砲には松井秀喜が君臨していた。その間の松井の成績は、
97年 打率.298、37本塁打、103打点
98年 打率.292、34本塁打、100打点
99年 打率.304、42本塁打、95打点
00年 打率.316、42本塁打、108打点
98年と00年は本塁打と打点の2冠。ベイスターズもずいぶん痛い目に遭った。
好調の際は手が付けられず、「一発を打たれてもいい。目をつむって内角に投げろ」と玉砕覚悟の指示を投手に出したりした。松井も強烈だったが、あの頃のゴジラと比べても、今の村上は上を行くかもしれない。
規格外のスイングスピードとパワーを持った松井の長打の打球方向は中堅から右に偏った。ヒットなら御の字と割り切れば、まだ攻め手はあったのに比べ、村上の今季の本塁打は右に22本、中堅に11本、左に16本。センターを中心に右へ左へ打ち分けられたら、投手は投げる球がなくなる。
四球でもいいという考えだから、必然的にボールを長く見る。結果、逆方向の本塁打も増え、打率も上がるのだ。
■小川前監督の功績
シーズン50号は、その松井が02年にマークして以来となる日本人20年ぶりのことだが、ヤクルトの小川淳司前監督の功績にも触れなくてはいけない。
19年、高卒入団2年目の村上を一軍に抜擢し、使い続けた。その年の村上は打率がリーグ最下位の.231。セ最多記録となる184三振を喫した。守備にも難があり、一塁と三塁で計15失策。当時は、「いつまで使う気なのか」と批判の声があった。
それでも小川監督はビクともせず、全143試合に起用(先発出場は141試合)。今、18年ぶりの三冠王を射程圏に入れる主砲の足掛かりを築いた。
選手は育てるものではない。これと決めた選手にチャンスを与え続け、我慢して見守るだけでいいのだ。覚悟がいることだが、小川監督にはそれがあった。彼の爪のあかを煎じて飲まなきゃいけない監督はいっぱいいる。