ダルは“孤高のイチロー”とは大違い 侍J最年長でも偉ぶらず栗山監督も指導を一任
「イチローはワガママ」と受け止める選手も
しかし、当時の日本代表を知る球界OBは、「彼はあくまで孤高の存在。たしかに川崎宗則(元ソフトバンクなど)や青木宣親(ヤクルト)など一部の野手が慕い、アメリカと対戦する上での心構えなどをレクチャーするなどしていましたが、あくまで自分はメジャーリーガーという感じで他選手とは一線を引いていた」と、こう続ける。
「06年大会前には『戦った相手が、向こう30年は日本に手は出せないなという思いになるほどの勝ち方をしたい』と発言して波紋を呼んだ。大会期間中はミーティングに顔を出さなかったり、米国滞在時にひとりだけ別の高級ホテルに泊まったり。ポジションは右翼で固定する条件がついていたというし、09年大会時も合宿の休日に『打ち込みがしたい』と一人、合宿地の宮崎から神戸へ。特例措置を認めざるを得なかった代表関係者はアタフタさせられた。首脳陣も1番起用を望むイチローの意向をくみ、特別扱いしていたが、代表内ではこうした姿をワガママだと受け止める選手もいた」
日本代表は09年から「侍ジャパン」と呼ばれるようになったが、イチローは雑誌のインタビューで「原監督は盛んに武士道、武士道っておっしゃっていましたけど、原監督はさわやかすぎて、そういう言葉が似合わない」「今の時代、侍の心が分かっている人なんているはずがないし」などと、ちゃかすようなコメントをしたこともあった。
一方のダルはこの日の登板後にも「まだスプリングトレーニングの段階。現時点ではこんなものかな」とキッパリ。「しっかり情報共有して、お互い成長していけたらなと。勝ち負け以外にもそういうことはできると思う」と話すなど、WBCは自分自身の刺激の場、学びの場という認識もあるようだが、あくまで泰然自若としていて、ワガママを言ったり、自らしゃしゃり出ることもない。
■アルバイトにも自ら挨拶
2度目のライブBPで登板した去る2月26日の午前中は風が強く、肌寒かった。ダルは1度目のBPを気温9度という寒い中で投げた。登板後に、そもそも味方相手に投げづらいだけでなく、寒い中での投球によって体が変調をきたすことを懸念していた。ウエートの量を増やすなどして対応したものの、2度目のBPは屋外のメイングラウンドではなく、気候の影響を受けない室内練習場でやりたかったそうだが、室内では野手の打撃練習が組まれていた。ダルはこうした事情を理解し、最後は納得して屋外のグラウンドで投げたという。
NPB関係者はこう明かす。
「あくまで代表の一メンバーといった感じ。偉ぶる様子はありません。宮崎合宿中はアルバイトスタッフにも自ら『おはようございます』『お疲れさまです』と声をかけるものだから、みんな感動していたくらい(笑)。チーム宿舎の食事についてアレコレ言うこともないし、名古屋へも普通にチーム便に乗って移動。休日に宮城(オリックス)と宿舎敷地内でスワンボートに乗ったと聞いたときは、事故が起きなくてホッとしましたけどね(苦笑)」
常に特別扱いされていた孤高のイチローとは全く違う形で、侍ジャパンを牽引しているようだ。