ドラフトで岡田彰布を射止め、入団を懇願するスカウトに“虎びいき”の父親が言い放ったひと言
入団交渉で背番号「16」を求めたのは、岡田親子の三宅秀史への恩返し
三塁手の三宅秀史はしばしば玉造に来て、岡田少年に野球を教えた。巨人の監督水原と川上が「うちの長嶋・広岡(の三遊間)より三宅・吉田の方がうまい」とお世辞抜きで公言した、あの三宅に岡田は走攻守を学んだのだから鼻も高くなる。
「息子は恵まれていましたな。あの三宅に手取り足取り教えてもらったんやさかいに」
三宅の背番号は「16」だった。入団交渉で「16」を求めたのは、岡田親子の三宅への恩返し。そう思う。勇郎さんは藤本勝巳と歌手の島倉千代子の結婚に関わった。
岡田は10歳のとき、町の大人の野球チームに誘われた。「ピッチャーなら入る」。勧誘した大人が驚く。
「ああ坊のヤツ、カーブも投げよりまんねん。10歳が……」
岡田は町で名を知られるようになる。
「ああ坊」。彰布の「あ」から「ああ坊」と呼ばれた。
北陽高から早大。上京した岡田は原辰徳と飲む夜があった。3番原、4番岡田。この打順で米国などと戦ったことがある。以来、飲む仲になった。岡田がひとつ年上。銀座に元ミス日本がホステスをするクラブがあった。「姫」である。「俺が払う。遠慮しないで飲めばいい」。請求書は岡田経由で玉造の「岡田勇郎様」宅へ。勇郎さんがうなる。そのうなりをそばで聞く妻のサカヨさんが笑って言う。
「あんたの子や。お父さんと彰布は一卵性親子ですわ」
▽平井隆司(ひらい・たかし) 1942年、大阪府出身。阪神の担当記者として数々の事件や騒動を取材。デイリースポーツ編集局長やサンテレビ常務など、神戸新聞グループの主要ポストを歴任した。著書に「猛虎襲来」「阪神タイガース『黒歴史』」。