ドラフトで岡田彰布を射止め、入団を懇願するスカウトに“虎びいき”の父親が言い放ったひと言
平井隆司さん(デイリースポーツ元編集局長)
岡田を知ったのは1979年のドラフト会議。それまでクジ運が悪かった阪神が珍しく競合戦に勝ち、早大の岡田を射止めた夕刻だった。
その日から取材が始まるのだが、岡田本人の生の顔や声を囲むのは相棒の虎番に任せ、彼の実家へ走った。「岡田を知るなら親父さんに会え」と、他球団のスカウトから聞いていたのが幸いした。
実家はJR大阪環状線の玉造駅から近い。うまい具合に岡田の父親・勇郎さんは在宅。「ま、ま……2階に上がりまへんか」。1階は勇郎さんが経営する「紙工所」(紙を加工する会社)工場だった。勇郎さんは1930年生まれ。敗戦後の苦労をたっぷり聞き、その後、息子の話になる。勇郎さんは野球好き。そして息子が生まれる前から阪神ファン。翌日も翌々日も玉造へ走った。
「きのう阪神のスカウトさんが来られてね」。しばし沈黙。「ここだけの話、掛布さんを他へコンバートしていいと考えています。はい、息子さんを三塁手に、と。ですからどうか岡田君をいただけませんか? と言われてね」。この後の勇郎さんのひと言が忘れられない。
「阪神さんはうちが何かごねるとでも思ってはるんやろか。こっちがお金を払ってでもタイガースさんに入れて欲しいんでっせ」
スカウトの熱意を真面目に聞きながら、心の中では「今、印鑑押してもよろしいですよ」と言いかねなかったらしい。
阪神びいきの勇郎さんはタイガースのタニマチだった。村山実、三宅秀史、藤本勝巳……。甲子園球場の巨人戦で先発が村山なら、勇郎さんは小学生の息子・彰布を連れ、わざわざ三塁側のチケットを手に入れ、長嶋茂雄が打席に入ると、親子でヤジを飛ばした。
「三塁側から長嶋さんに酷いヤジを飛ばしたのは親父と僕が初めてやないかな」
岡田は今でもそんな話をすることがある。