オリ選手時代の岡田彰布は仰木監督と2人、酒を飲みながら戦略など長時間話し合った
井箟重慶(オリックス元球団代表)
「井箟さん、岡田を取りましょう」
1993年のオフのこと。翌年からオリックスの指揮を執ることになった仰木彬監督が、わたしにこう言った。
オリックスは当時、人気がなかった。ファンサービスに熱心な仰木監督は、とにかくスター選手を欲しがった。阪神ブランドを利用したかったわたしと考えが一致した。
もちろん、岡田の人気だけを欲しがったわけではない。
岡田は当時、中村勝広監督と折り合いが悪かった。92年、4月25日の中日戦で7番に降格。1点リードの五回1死二、三塁で6番の八木が敬遠。すると中村監督は、腕をぶして打席に向かった岡田の尻をポンポンとたたき、代打に5年目の若手・亀山を告げた。これで亀裂は決定的なものになったといわれる。
岡田は93年、42試合に出場して打率.170、1本塁打、7打点。シーズン終了後、体力の衰えを理由に阪神を自由契約になったものの、わたしも仰木監督も指揮官との確執で出場機会に恵まれなかっただけで、まだまだ選手としてやれると踏んでいた。