《斉藤和巳の巻》助っ人外国人の信頼も勝ち得ていた絶対的エース
とにかく、和巳が投げる試合は負ける気がしませんでした。低めに集まる速球にキレのあるスライダー、打者のタイミングを外すカーブ、鋭く落ちるフォークなど、僕らが見ていても「レベルが違う」とハッキリわかったほどです。
野手の信頼も勝ち得ていました。20勝した2003年の翌年は右肩を痛め、登板間隔も中10日を空けざるを得ませんでした。最終的にこの年は防御率6.26と散々な結果でしたが、驚くのは10勝7敗という成績です。これは野手陣が和巳をどう思っていたかの答え。「和巳に負けをつけさせるわけにはいかん。何点取られても、負けさせるわけにはいかん」と、一丸になった証しです。だからこそ、ポストシーズンで未勝利のまま引退となったのは残念でなりません。忘れもしない06年10月12日、日本ハムとのプレーオフ第2ステージ、和巳は日本ハム先発の八木智哉と投げ合い、無失点に抑えながらも九回裏にサヨナラ打を浴び、チームはプレーオフ敗退。和巳は涙を流して崩れ落ち、その両肩をズレータ、カブレラの助っ人2人が支えてマウンドから降りました。僕も「そっか、和巳は彼らからも認められていたんやな……」と目頭が熱くなりました。
右肩の故障で活躍した期間は長くはありませんでしたが、周囲に与えた影響はとてつもなく大きかった。次回はその一人、杉内俊哉の話をしましょう。