「ブラジャーで勲章をもらった男」西田清美著

公開日: 更新日:

「おい、西田。あのなあ、乳バンドを作られへんか?」

 このひと言が、西田清美の人生の方向を決めた。戦後間もなく、まだ「ブラジャー」という言葉が知られていなかった時代のことだ。

 西田清美は1932年生まれ。ヤンチャな高校時代を送った後、京都の和江商事に入社した。復員してきたばかりの塚本幸一が始めた装身具商だった。この小さな会社がのちのワコールである。

 創業者の塚本には先見の明があった。これからは洋装下着が売れると見越して、手さぐりでブラジャーの製造販売を始めた。型紙などどこにもない。アメリカの通販カタログなどを参考に、見よう見まねでつくる。当時の素材は綿のキャラコ。それでも作れば売れた。仕事はやりがいがあったが、西田は家庭の事情で退社。その後、どん底を経験するが、ワコールで覚えた仕事が身を助けた。

 38歳のとき、下着メーカー「カドリールニシダ」を創業。女子社員が深夜残業をして納品に間に合わせるという状態だったが、大手ブランドから依頼を受けて商品を開発・製造するOEMという業態で業績を伸ばしていった。日本女性のバストがきれいに見えるブラジャー、長時間つけていても苦しくないブラジャーを作りたい。西田のものづくり精神は、つけ心地など二の次だった日本製ブラジャーの質を向上させた。「下着は白」という常識を破り、1972年に日本初の「肌色ショーツ」を生産したのも、カドリールニシダだった。

 2011年、西田は婦人下着業界への貢献を評価され、藍綬褒章を受章。今年84歳になる西田の人生は、日本女性の下着の進化史でもあった。(集英社 1600円+税)

最新のBOOKS記事

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    僕の理想の指導者は岡田彰布さん…「野村監督になんと言われようと絶対に一軍に上げたる!」

  2. 2

    小泉進次郎氏「コメ大臣」就任で露呈…妻・滝川クリステルの致命的な“同性ウケ”の悪さ

  3. 3

    綱とり大の里の変貌ぶりに周囲もビックリ!歴代最速、所要13場所での横綱昇進が見えてきた

  4. 4

    永野芽郁は映画「かくかくしかじか」に続きNHK大河「豊臣兄弟!」に強行出演へ

  5. 5

    永野芽郁“”化けの皮”が剝がれたともっぱらも「業界での評価は下がっていない」とされる理由

  1. 6

    元横綱白鵬「相撲協会退職報道」で露呈したスカスカの人望…現状は《同じ一門からもかばう声なし》

  2. 7

    関西の無名大学が快進撃! 10年で「定員390人→1400人超」と規模拡大のワケ

  3. 8

    相撲は横綱だけにあらず…次期大関はアラサー三役陣「霧・栄・若」か、若手有望株「青・桜」か?

  4. 9

    「進次郎構文」コメ担当大臣就任で早くも炸裂…農水省職員「君は改革派? 保守派?」と聞かれ困惑

  5. 10

    “虫の王国”夢洲の生態系を大阪万博が破壊した…蚊に似たユスリカ大量発生の理由