「骨まで愛して粗屋五郎の築地物語」小泉武夫著/新潮社

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 著者の小泉武夫氏は、日本の発酵学の権威であると同時に美食家としても名高い。実は、私はニュースステーションのコメンテーターをしていたときに、「おいしく食べよう」というコーナーで著者とご一緒させていただいた。食に関する博覧強記ぶりには驚かされたが、同時に食材への愛情が誰よりも強かった。著者とロケに出掛けた時に、私はアンコウの吊るし切りを初めて体験して、魚を余すことなく食することができることを知り、それがとてつもなくうまいことも教えてもらった。

 本書のストーリーは、マグロを捌いたら築地で一番という伝説の捌き師、鳥海五郎が、後進に道を譲って、長年温めてきた魚のアラ料理専門の粗屋を開店し、その店でさまざまな人情話が展開されるというものだ。

 人は、誰でも私小説という物語を書くことができるといわれるが、著者は大学教授であり、築地の捌き師ではないから、私小説とは異なる。小説のなかには大学教授も登場するが、やはり著者を一番映し出しているのは、主人公の鳥海五郎だろう。五郎が食材に対して抱く強い関心と愛情は、著者の態度そのものだし、五郎が持つ築地や魚やアラや料理に対する深くて正確な知識は、やはり著者そのものだからだ。

 質の高い小説というのは、情景が目に浮かんでくるものだが、本書は、味覚も刺激してくる。食べたことがない料理がたくさん出てくるのだが、なぜかよだれが出てしまうのだ。こんな小説が書けるのは、おそらく世界で著者だけだろう。

 本書のもうひとつの楽しみは、著者のチャレンジ精神が、主人公の姿に映しだされているところだ。ニュースステーションに著者がペットボトルに入れた新島のくさや汁を持ち込んだことがあった。健康によいというので、久米さんと3人でグラスに注ぎ乾杯した。その直後から、3人は異臭を放つくさやになってしまった。著者に「新島の人は、これを飲んでいるのですか」と聞くと、満面の笑みで、「飲んだのは人類で我々3人だけです」と答えた。そんなワクワク感を伴いながら、アラという食の未開地に誘ってくれる本書は、100冊を超える著者の本のなかでも最高傑作だと私は思う。

★★★(選者・森永卓郎)

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