「野の春 流転の海 第九部」宮本輝著
宮本輝の長編小説である。連載開始は1982年だった。37年かけて完結した最終巻だ。著者の父をモデルにその後半生を描いた作品である(創作部分もそこそこあるようだ)。
この小説の凄さは、読み出したら止まらない面白さにある。圧倒されるように読み継いでしまう。人が懸命に生きているさまを、それを何十人も、描いている。こんな群衆小説も日本では珍しい。人生に共感したり驚いたりしながら、読んでいくことになる。
「野の春」はシリーズ最終巻である。これまでは、ひょっとしたら終わらないのではないかと恐れつつ読んでいる人も多かったと思うが、この小説はきちんと完結するのだ、と安心して読むことができる。
1巻から読んだほうがいいが、ご用とお急ぎの方は、えいやっと9巻だけ読んでみてもいいだろう。それでも強く刺さる部分があるはずだ。
主人公は明治30年生まれの著者の父、熊吾である。彼が過ごした各年代のリアルな風景、租界時代の上海の人間模様や、引き揚げ者の微妙な心情――なども描かれている。著者の記憶だけで書けるものではない。かなり調べて書いたことが(そう書かれてないが)ひしひしと感じられる。
たとえば「闘蟋」についてもそうだ。コオロギを闘わせるこの賭博は戦前の中国では人生を賭けるほどの大ばくちでもあったらしいが、著者はそこにいたわけではない。描写されているコオロギの持ち主たちの切実な叫びや、勝利したコオロギの鳴くさまなどは深く調べないと、書けない。しかし、そういう裏側をみじんも感じさせないのも作家の技量である。
一度ざっと数えたのだが、全9巻を通すと登場人物はなんと、1200人を超えている。物語を終わらせるにあたって、著者は自分の書いたものながら、主な人物について自分で調べ直したんではないだろうか。それなりの結末がみんなに用意されている。自分で書いたものでも自分で確認しないと終えられなかっただろうという、とんでもない作品でもある。
昭和のことを覚えている人なら、生きているうちに読んだほうがいい大作だと思う。(新潮社 2100円+税)