中山七里 ドクター・デスの再臨

1961年、岐阜県生まれ。2009年「さよならドビュッシー」で「このミステリーがすごい!」大賞を受賞しデビュー。本作は「切り裂きジャックの告白」「七色の毒」「ハーメルンの誘拐魔」「ドクター・デスの遺産」「カインの傲慢 」に続く、シリーズ第6弾。

<10>ドクター・デスの模倣犯を確信

公開日: 更新日:

「きちゃいましたね、通報」

 現場に向かうインプレッサの中で明日香は珍しく軽口を叩いた。臨場前の言葉として軽率な感が否めないが、ステアリングを握る犬養は敢えて咎めもしない。場違いな軽口が明日香なりの気遣いだと知っているからだ。

 庶務担当管理官から現場の状況報告を聞くなり、犬養は遂にドクター・デスの模倣犯が出現したのを確信した。
『しかし法整備が進展しない以上、必ずや第二第三の事件が起きるのは必定なのです』

 数日前、会見の席上で津賀沼議員の放った言葉が現実となったかたちだが、会見がなかったとしても犬養はどこかで模倣犯が現れるのを危惧していた気がする。ドクター・デスが自分に放った予言は二年経った今でも胸壁に刺さったまま残っているのだ。

「課長も課長だと思いませんか」

 犬養の反応がないので、明日香は軽口から愚痴へと切り替えたらしい。

「ウチの班がどれだけ案件を抱えているか知っているはずなのに、どうしてこっちに振ってくるんだか」

 出動要請を受けた津村一課長は直ちに麻生班を専従班とし、麻生は麻生ですぐに犬養と明日香を現場に向かわせた。まるで安楽死事件は犬養たちの専管と言わんばかりの扱いだ。

 正直、再び安楽死事件の捜査に関わることに気が進まない。事件を選べるような立場でないのは承知しているが、被害者の叫びが聞こえない事件は闘争心が萎えてしまう。

 被害者不在。それこそが安楽死事件の一番の特質だ。安楽死事件はかたちを変えた自殺幇助であり、殺害された人間は例外なく自ら死を望んでいる。殺害者は自殺者が理想とする安らかな死を、ほとんど報酬なしで請け負う。介護疲れした親族はほっと胸を撫で下ろし、以降は高額の医療費や介護費を捻出する苦労から解放される。

 関係者で困る者は誰もいない。立ちはだかるのは「違法である」ことの一点だけだ。事によれば、犯人を逮捕し罰することで司法機関が非難を受けるかもしれない。犬養たち警察官は市民の生命と財産を守り、秩序安定のために働いている。ただ違法というだけで、誰もが納得して利益を享受する犯罪を追及する必要がどこにあるのか。

 新しい法律が制定された途端、それまで違法だった行為が遵法となり、またその逆も発生する。警察の正義と世間の正義は別物だ。そして警察の正義は条文一つでいつでも覆る。

「犬養さん、どうかしましたか」

 明日香の問い掛けで犬養は我に返る。

「何でもない」

「運転、気をつけてください。刑事が現場に向かう途中で事故を起こしたりしたら目も当てられません」

「それ以前に、犯人が目の前で患者を安楽死させている瞬間を見逃しているんだがな」

 痛烈な皮肉に、明日香は恨めしそうな目をして押し黙る。

 (つづく)

【連載】ドクター・デスの再臨

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