「二人キリ」村山由佳氏

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 アベサダという4音を聞けば、誰もが愛する男の局部を切り取って持ち去った猟奇殺人犯をイメージするだろう。センセーショナルな事件だったために、事件にばかり焦点があたり、その人物像については意外と知られていない。本書は、阿部定というひとりの女性の生涯を題材に、その内面に迫った評伝小説だ。

「阿部定の人生を扱ったNHKの番組にゲスト出演した際に、彼女の生涯を知りました。生い立ちはもちろんですが、彼女が意外と長生きだったことを知って衝撃を受けて。特にお定さんが手をかけた吉蔵の墓に誰が持参したのかもわからない花が命日に手向けられていたのに、あるときふっと途絶えたというエピソードを聞いて、これは小説にしたいと思ったのです」

 小説の中で語り手となるのは、脚本家の波多野吉弥。阿部定に殺害された石田吉蔵が、家庭とは別に囲っていた愛人の子という設定だ。阿部定と自分の父親の間に何があったのかを知りたいという気持ちに動かされて、定が営むおにぎり屋を吉弥が訪ねるところから物語は始まる。追い返そうとする定に「あなたは僕に全部打ち明けなきゃいけないんです」と対峙する吉弥によって、定と関わった人々の証言が集められ、定の口からも真実が少しずつ明かされる構成になっている。

「警察に捕まった際に生い立ちから寝間のことまであけすけにお定さんが証言した資料が残っているので、物語の芯はある程度導くことができましたが、それだけだと調書をなぞるだけになってしまう。なので、彼女に関わった人たちの証言を創作で補って物語を膨らませていきました。特に、愛人でありながらお定さんを更生させようとして吉蔵との出会いの場へ導いてしまった校長先生は、彼女を描いた映画などではまぬけな人物像として描かれることが多かった。けれど、吉蔵以上に彼女の人生を決定づけた人物かもしれないと感じて丁寧に書いたつもりです」

 定の幼馴染み、女中仲間、少女時代に定を強姦した大学生、生涯食い物にされながらも腐れ縁のように定と関わった男の証言などを重ねていくことでスキャンダラスな事件を起こした犯人という記号化されたアベサダ像を超えて、定の純情さや情の深さが見えてくる。

 加えて吉弥の背中を押す存在として映画監督のRが登場。肉体関係で結ばれた定と吉蔵と、創作現場で精神的に結ばれた吉弥とRの関係が対照的に描かれ、人と人が相対する「二人キリ」の世界観がより広がりを持って描かれている。

「誰かとふたりきりで何かを生み出すことは幸せには違いないのですが、それが破滅と背中合わせになることはあります。夫婦は社会の一単位なので、皮肉にもふたりきりではいられない。男性には最後の証言者・吉蔵の証言を読んでいただき、人生ここで終わってもいいと思えるような相手との性愛=命のやりとりを小説の中で味わってほしい。私も今年還暦になり、今までの恋愛がなかったら人生が随分殺風景だったろうと思うようになりました。人間関係が希薄な今の時代、小説の中であれ、心を揺り動かすものを見つけてもらえればうれしいですね」

(集英社 2310円)

▽村山由佳(むらやま・ゆか) 1964年生まれ。立教大学文学部卒。「天使の卵-エンジェルス・エッグ」「星々の舟」「ダブル・ファンタジー」など各種賞を総なめにした著書多数。2021年には伊藤野枝の生涯を描いた「風よあらしよ」で吉川英治文学賞を受賞。

【連載】著者インタビュー

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