「余白の迷路」赤川次郎氏
「余白の迷路」赤川次郎著
主人公・三木は、50代で妻に先立たれ、60歳で定年になった後に2年ほど会社に残り、息子夫婦と公団住宅で同居している70歳。毎日これといった予定もなく、図書館で美術雑誌や海外文学を読むことを生きがいとしている。
ある朝、いつも通り図書館に向かおうと家を出ると、近所に2台のパトカーと人だかりが。公園のベンチでホームレスの女性が殺されていたという。おぞましい事件に関わりたくない三木は現場を離れて図書館へ向かう。
「これまでは少女を主人公にした作品が多かったですが、私自身、70代。そろそろ同年代を主人公に書いてみようかなと。作家になるまでは、12年間サラリーマンをしていました。もし、作家になっていなかったらこんな人間になっていたのではないか、と、ごくありふれたお年寄りを主人公に書き据えました」
後日、三木は殺害された女性が高校時代の同級生の祥子であったことを知る。当時、ほのかに思いを寄せていたが、その後の彼女は知る由もない。どうしてこんな最期を迎えなければいけなかったのか……。
一方警察は、現場近くに被害者の高校の同級生が住んでいることを嗅ぎつけ、三木に疑いをかける。
本書は、突然日常をかき回されることとなった三木が、事件を通して70年の人生と向き合ってゆくミステリー小説。警察のほかにも腰痛や心臓の不安などの「内なる敵」とも戦いながら、周囲から「70歳のジェームズ・ボンド」と称されるほどの奔走を見せる。
「70歳は残りの人生は余白で、あとはこたつで丸くなるくらいしかないと若い頃は思っていました。しかし、実際に70代になってみると、昔の老人よりも体力はありますし、精神面では迷いも悩みもあって人間として出来上がるわけではない。“余白の”なんてタイトルをつけましたが、70代はまだまだ余白ではないんです」
祥子が住んでいたマンションの受付嬢も殺され、事件は混迷を極める。背景に巨大な闇が見え隠れするなか、もうひとつの舞台となるのは図書館である。真相に共に迫っていくヒロインの女子高校生・早織とは、カフカをきっかけに出会う。
「孫とおじいちゃんほど年が離れた2人が相棒のような関係になれるのは、海外文学という共通の趣味があるからなんですね。今回、図書館や海外文学はある種の知識の象徴として描きました。古典や芸術に触れて想像力を養う経験は人生に必要不可欠で、犯人扱いされ、人生の正念場にいる三木に図書館でドイツの戦争文学を読ませているのはそのためです。ナチス支配下にいた異国の少年から、『熱狂の中でどうやって自分を保って生きられるか』ということを学ぶんですね。じっくり古典や芸術に触れる、そのための入り口に私の作品がなればいいと思っています」
息子夫婦の不倫問題、義理の息子の失踪など、家族の未来がかかった問題を副旋律にしつつ、事件は三木の過去に向かい、物語は大きくうねり出す。
「若い主人公の作品と同じように、70歳を主人公にしても人間は成長すると発見できた」と著者は振り返る。
アクティブシニアの理想像が描かれた本書に、励まされる読者もきっと多いはずだ。
(KADOKAWA 2420円)
▽赤川次郎(あかがわ・じろう)1948年、福岡県生まれ。76年「幽霊列車」でオール讀物推理小説新人賞を受賞しデビュー。「三毛猫ホームズ」シリーズ、「天使と悪魔」シリーズ、「鼠」シリーズ、「ふたり」「怪談人恋坂」「幽霊の径」「記念写真」ほか、著書多数。2016年、「東京零年」で第50回吉川英治文学賞を受賞。ユーモア・ミステリーのほか、サスペンス小説、恋愛小説まで幅広く活躍。