宝塚出身プロボウラーの大谷茂子さんは尼崎でスナック経営
「入団の時、姉から“ワタシはワタシ。アンタはアンタやで”とクギを刺された。歌劇団の厳しさを肌身で知ってるからこそのアドバイスだったのね」
さくらさんは入団3年目に当時の大スター、春日野八千代の相手役に抜擢され、雪組娘役のトップに立った。
「ワタシ? 同じ雪組。ただし、姉と違って、その他大勢組だった。初舞台は『花田植』で、田植えに登場する牛の前足兼ドジョウ役。ワタシの腕が田んぼにいるドジョウになるの、ハハハ」
68年、宝塚を退団。翌年、全日本ボウリング選手権女子個人総合で優勝し、プロボウラーに。
「まだ宝塚にいた時、西宮コマボウリング場で初めてボウリングをやったら、138のスコアが出て、いっぺんにハマっちゃった。お給料をほぼ全額つぎ込んで練習したわ。70年前後は日本中がボウリングブームだったでしょ。毎週末にトーナメントがあり、その合間にアマチュアボウラーが参加するチャレンジマッチがある。ほぼ全国のボウリング場を回ったんじゃないかな」
母親お手製のスパンコールのユニホームや移動の際の華やかなスーツも評判になった。
「オバちゃんになってもプロはプロ。今でも現役よ。だから、みっともないフォームにならないよう、大会のゲストで呼ばれたら、2、3カ月前から練習する。それが健康の秘訣かもね」