市原悦子さんは自然に役柄を生きる新劇俳優の王道だった
今月12日に亡くなった市原悦子さんは、まさに新劇俳優の王道を歩んだ人だったと思う。それは、名門の俳優座の出身者にして、演劇、テレビ、映画など多ジャンルで活躍した幅広い芸歴を表す意味ではない。新劇俳優がこだわったとされるさまざまな役を「生きる」ように演じる能力が、群を抜いていたからだ。
与えられた役柄に、どこまで血肉を通わせることができるか。リアルと虚構がせめぎ合うなかで重要になってくるのが、演じた俳優ならではの個性だ。市原さんは、往年の新劇俳優たちが苦闘の末につかみとってきたその領域に、実に自然な装いで入ることができたのだった。
かつて、新劇俳優の重鎮たちは、被ばく者を演じることに尋常ならざる貪欲さをもっていた。滝沢修なら「原爆の子」(1952年)、宇野重吉なら「第五福竜丸」(59年)、望月優子なら「ヒロシマ1966」(66年)といった具合だ。いずれも被ばく者の想像もできないつらい内面に寄り添うことの大切さ、重要さが俳優の根本にあると思えるような鬼気迫る演技であった。
市原さんは、今村昌平監督の「黒い雨」(89年)で被ばく者を演じた。モノクロ映像の衝迫が凄まじく、異常をきたしていく彼女が苦痛の表情を浮かべ倒れるシーンに身も震えた。近年では、「あん」(2015年)で、元ハンセン病患者を演じた。共通しているのは、新劇俳優の王道である役柄を「生きる」ことの原点が、彼女のたおやかな演技のなかから自然とにじみ出ていたことだ。
これが、彼女の生来の個性、魅力だろう。役柄を作りに作っていくタイプではない。自然に役柄を生きてしまうのだ。テレビドラマの代表作「家政婦は見た!」や、声優の「まんが日本昔ばなし」も、同様の個性が発揮されたのだと思う。素晴らしい俳優だった。ご冥福をお祈りしたい。