20代30代は相当飲んだが…最近は湯上がりのビールもない
1975年に放送された「座頭市物語」(フジテレビ系)の制作発表の席上、松平は師匠の勝新太郎に怒鳴られた経験がある。
しかし、それは集まった記者たちに「マツダイラケン」という若手役者の名を覚えさせるための勝新の策略だった。
当時、松平は21歳。「太陽にほえろ!」(日本テレビ系)の犯人役など単発の仕事はあったが、レギュラーを取るまでには至っていない。
「確かに勝さんに怒られました。新聞記者に名前を売るためでした。勝さんというのは、“男が惚れる”というタイプの人。時代劇の殺陣は速くて凄みがありましたが、いったん仕事から離れると、ちょっと子供みたいなところがあって、面白いことがあると率先して楽しむような人でした」
勝新は“好奇心”の塊であり、物事への興味は若さの秘訣にもなる。松平も「好奇心を持ち続ける」ことを勝新から学んだという。休日には映画館にも足を運ぶ。
石原裕次郎の日活アクションに憧れて上京した松平だが、運送業のアルバイトをしながらチャンスを待っていた。そんな折、「座頭市」などの大映作品を手がけていた脚本家の直居欽哉氏に紹介され、勝プロダクションへ。半年ほど勝新の付き人として京都の撮影所で過ごした。ただし、来る日も来る日も下働きと雑用で、役は回ってこなかった。その件に関して勝は「主役以外はやるな!」と松平に語っていたという。