「マツケン・アスレチカ」を東京五輪開会式でと望む声も
休日には気が向くと、自宅近くの映画館へ足を運ぶ。松平にとっては束の間の息抜きだ。
「子供が小さい頃はディズニーランドにも連れて行きました。今は中学生で、それくらいの年頃になれば父親に対して反抗的にもなるでしょうが、今のところ生意気な感じはない。というのも、ウチは母親が厳しいんで。私の方は、よほどのことがない限りは叱ったりしません。どちらかというと、話を聞いてという教育法です」
松平自身は16の時に父親を亡くしている。兵隊も経験した頑固な大工で、「魚は頭から食べろ」と叱ってくるような父親だった。
「身長が172センチくらいあって、当時としては大きかった。私は、骨格がその父親似です。最終的には酒の飲み過ぎで体を壊したようなところがあります」
日本酒より安い焼酎を飲んでいたという。松平が子供を持ってから深酒をしなくなったのは、その父の反面教師的な意味があるのだろう。
もちろん、若さを維持するには、食事と睡眠、適度な運動のバランスが大事だ。25年続いた「暴れん坊将軍」の頃は、2話分を11日かけて撮影する強行軍。朝5時半の起床でロケに向かう日もザラだったという。特に殺陣のシーンは、撮影に半日もかかった。相当な運動量だ。