コロナ禍でテレビの凋落が加速…花形ギョーカイは死屍累々
視聴者もそれを承知で喜んで見ていたのではないか。対岸の火事じゃないが、自分は安全なお茶の間にいて、煎餅をぱりぱり食べながらの野次馬見物だ。
しかし、コロナ禍という未曽有の事態では、視聴者もその渦中にいる。世界が恐怖に包まれる中、そこで人々が求めるのは安心安全である。安心材料を探しているのに、テレビをつければことさら恐怖をあおられるのだから、テレビ慣れしている人でさえネットに乗り換える動きが加速しているのも当然か。
そもそもテレビは、誤解を恐れずに言えば読み書き能力の低い視聴者のレベルに合わせて番組を作っている。そうした視聴者はおおむね情報弱者だ。知識に乏しく、判断力もない。だから「わかりやすさ」を第一に制作してきたが、それがより露悪的な演出へとなってしまう。そして事実関係や情報の確度すら、ないがしろにしてきたものだから、今回のコロナ禍でテレビは視聴者の信用を失い、テレビの伝えるコンテンツをうのみにしてきた層からも見放されつつある。これはもう末期的だ。
もともとテレビの収録スタジオは密の最たる場所である。現場にはADやディレクターなど比較的若い層が働いていて、無症状の感染者がいてもわからない。まともな感覚ならスタジオ収録は避けるべきところだろうが、それをやめて、変わるべきものは見つからない。この体たらくだから、ますます企業の広告出稿はネットへと流れていくだろう。