著者のコラム一覧
平野悠「ロフト」創業者

1944年8月10日、東京都生まれ。71年の「烏山ロフト」を皮切りに西荻、荻窪、下北沢、新宿にロフトをオープン。95年に世界初のトークライブ「ロフトプラスワン」を創設した。6月、ピースボート世界一周航海で経験した「身も心も焦がすような恋」(平野氏)を描いた「セルロイドの海」(世界書院)を刊行。作家デビューを果たした。

群馬の「暴威」は手の付けられない不良だった

公開日: 更新日:

 少し時間を置いて彼らと会うことになった。

 ギラついた目の切れ味鋭いカミソリみたいな連中だった。ボーカルの氷室京介、ギターの布袋寅泰と諸星アツシ、ベースの松井恒松、ドラムの木村マモル、サックスの深沢和明。最初は6人編成のバンドだった。後にギターの諸星、サックスの深沢が脱退。ドラムが高橋まことにチェンジする。

 新宿ロフトでは土曜に「新人バンド公開オーディション」を設けており、何組かのバンドと一緒に暴威をブッキングした。リハーサル時間が押したことに待機中の氷室が、いきなりテーブルを叩きながら「遅っせぇ~なぁ! どうなってんだよ!」と大声で怒鳴り出した。店長が「もう少し待ってくれないか」と言うと「誰だ! てめぇ~は!」と毒づく始末。

 まだ無名の新人バンドが、ロック小僧の聖地である新宿ロフトの店長にケンカを売るとは、度胸がいいにも程がある。

 長戸さんに「何とかしましょう」と約束した手前、放り出すわけにもいかず、その後も手を焼かされたものである。

 データを確認すると81年5月11日(月)に暴威は、新宿ロフトで初のライブをやっているが、客は男性9人に女性4人の計13人だけ。寂しいデビューライブだった。

 82年1月、バンド名を「BOØWY」に改名して3月、ビクターからデビューアルバム「MORAL」をリリース。常に「解散」の噂が絶えないバンドだった。(この項つづく)

最新の芸能記事

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    無教養キムタクまたも露呈…ラジオで「故・西田敏行さんは虹の橋を渡った」と発言し物議

  2. 2

    キムタクと9年近く交際も破局…通称“かおりん”を直撃すると

  3. 3

    吉川ひなのだけじゃない! カネ、洗脳…芸能界“毒親”伝説

  4. 4

    大谷翔平の28年ロス五輪出場が困難な「3つの理由」 選手会専務理事と直接会談も“武器”にならず

  5. 5

    竹内結子さん急死 ロケ現場で訃報を聞いたキムタクの慟哭

  1. 6

    ロッテ佐々木朗希は母親と一緒に「米国に行かせろ」の一点張り…繰り広げられる泥沼交渉劇

  2. 7

    木村拓哉"失言3連発"で「地上波から消滅」危機…スポンサーがヒヤヒヤする危なっかしい言動

  3. 8

    Rソックス3A上沢直之に巨人が食いつく…本人はメジャー挑戦続行を明言せず

  4. 9

    9000人をリストラする日産自動車を“買収”するのは三菱商事か、ホンダなのか?

  5. 10

    立花孝志氏『家から出てこいよ』演説にソックリと指摘…大阪市長時代の橋下徹氏「TM演説」の中身と顛末