群馬の「暴威」は手の付けられない不良だった
1984年10月に世界放浪の旅に出掛けたことは、前回の当コラムで書いた。4年間で87カ国を制覇しても帰国する気になれず、悶々としていた時に「ドミニカの海」の風景が頭の中から離れなくなった。わたしゃ「住み着いて市民権を獲得する」と決心。日本料理レストランをオープンして懸命に働いて市民権を得た。ある日、紺碧のカリブ海の先に「新宿のネオンがキラキラ瞬いている」のが見えた。もう帰国するしかなかったね。で、放浪の旅に出掛ける前の話をしよう。彼らは「暴威」と名乗っていた。
1981年の3月だった。音楽事務所「ビーイング」の創業者としてTUBE、B’z、ZARD、大黒摩季といった売れっ子を世に出した長戸大幸さんが、事務所にやって来てこう言った。
「実は平野さんにお願いがありまして……」
「お願いとは?」
「群馬・高崎の若いバンドの面倒を見ることになったのですが、これが元暴走族の破天荒な連中でして。手に負えない不良バンドを扱えるのは、もう平野さんしかいないと思います。彼らのやっている音楽の将来性は凄く感じるのですが……」