ジャニーズ帝国崩壊が現実味を帯びてきた…40年前の問題提起がトドメとなるか?
アイドルになる才能を見いだす「異能」に恵まれていたジャニーと、経営やテレビ局への売り込みの才に恵まれていたメリー。この姉弟がいたから、日本初の男子だけのアイドルグループ事務所は、帝国と呼ばれるまでになったのである。
今のジャニーズは、2人の“遺産”で食いつないでいるのが実情だろう。2代目がやるべき喫緊の課題は、どうしたら次代を担う才能を発掘できるかであり、コンプライアンスばかりを言い立てる凡庸な会社にすることではないはずだ。
私はジャニーズ事務所とは多少の因縁がある。週刊現代(1981年4月30日号)で週刊誌として初めてジャニー喜多川の美少年“嗜好”について記事にした。当時は、田原俊彦、近藤真彦、野村義男の「たのきんトリオ」が人気絶頂だった。
記事はまったく話題にならなかった。だが、事務所は「今後、講談社の雑誌にはタレントを一切出さない」と通告してきた。社内は大騒ぎになった。それから2カ月後、私は婦人倶楽部編集部に異動させられた。
若かった私は社を辞めようと決意し、親しかった劇団四季の浅利慶太社長に相談した。彼いわく「そこで半年でも1年でもいい、我慢してみろ。もしかすると違った興味がわいてくるかもしれない。それでもやる気にならなかったら、その時は君を引き取ろう」。彼の言う通り、いい加減な私はやがて怒りを忘れていった。