中森明菜と松尾潔氏をクビにしたSCを結ぶ“点と線”…こき下ろした山下達郎と独立に関与した小杉理宇造氏
そして、小杉氏は、近藤の元恋人の明菜とも近しい関係にあった。
89年7月に恋人だった近藤との痴話げんかの末に起こったのが、明菜の自殺未遂事件。明菜はこれをきっかけに、当時所属していた研音から独立している。
「真相は謎ですが、明菜は当時、近藤のカーレースなどに資金援助していたりしていたことから、事務所からバンズ(前借)を受けていたといいます。そのため、家族に生活費を渡す余裕がなかった明菜の代わりに、事務所が明菜に内緒で家族に生活費を渡していた。このことを知らなかった明菜は、ある人から『搾取されている』と吹き込まれたことで、事務所に不信感を募らせたと聞いています」(ベテラン芸能ライター)
当時、研音の社長だったH氏は明菜の独立について筆者にこう漏らしていた。
「娘が“家”が嫌で出て行った」
89年12月31日、明菜が都内のホテルで開いたいわゆる“金屏風”会見。会場に駆けつけた多くのメディアは、明菜と近藤の婚約発表会見と勘違いした。