「反逆の人生」を生きた音楽プロデューサー小西良太郎に会いたかった
『スポニチ』は『毎日新聞』社会部長だった牧内節男という人が社長になって、突然、リクルート疑惑の連載をやれと号令を発し、私にお鉢がまわってきて1989年春にけっこう長い連載をやったことがある。当時、小西がどういう役職だったかは知らないが、縁はあったのである。
そしてまた、私が『東京スポーツ』に連載した古賀政男伝(旬報社刊「佐高信評伝選」第6巻所収予定)では、小西が「歌謡界の帝王」である古賀について、こう指摘しているのを引用している。
「郷里大川や母親せつさんの話になると、この人はよく泣いた。豪邸の主だが、1人では食事もできぬ寂しがり屋だった」
小西の葬儀で川中美幸は「人を引きつける磁石のような魅力のある方」と言ったという。
「坊や」から上がって苦労しただろうが、それを微塵も感じさせないような人だった。 私は船村徹に何度も会ったが、小西も船村に傾倒していたらしい。船村もまた、気くばりの人だった。
船村は『歌は心でうたうもの』(日本経済新聞社)という自伝で、日本の音楽教育が西洋音楽至上主義でやってきたことを批判し、自分の作曲家人生はそれに対する反逆だったと言っている。小西も同じ思いだっただろう。